松山の夜遊びナイト情報 ちょんの間や風俗案内
四国最大の都市にして日本最古の道後温泉など世界的にも有名な観光スポットを抱えている愛媛県松山市。
人口も四国イチを誇る分、リフレッシュスポットの方も充実しており、裏観光地化している「道後ヘルスビル」がある多幸町は四国最大の風俗街として知られています。
そちらとは真逆に位置している「道後温泉湯月町」。
人通りが多く活気のある道後温泉本館とは違い、古びた温泉街が並んでおり人通りもまばらで寂しい印象が漂います。
宝巖寺(こちらも旅行ガイドに殆ど載っていません)に向かって緩やかに上る道沿いには特徴的な「カフェー建築」が並び(最近は取り壊しが進み、更地や駐車場になってる所も多い)、遊郭マニア達の間ではつと有名な場所ですが、最近の若い人はおそらく殆どが知らないのではないでしょうか?
実はこの一帯、かつて道後温泉エリアの歓楽街だったエリアで、当時は「ネオン坂歓楽街」と呼ばれていました。
このネオン坂歓楽街、元を辿ると「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」へと辿り着きます。
この松ヶ枝遊郭、スタートは明治10年(1877年)。
遊郭が出来る以前から旅館の女将が「湯女(下半身の世話をする女性w)」として客を取っていたそうですが、風紀上良くないとなって明治時代に1か所に集められたのが始まりだそうです。
昭和五年の全国遊郭案内によると、昭和5年当時に貸座敷が29軒、娼妓は63人いたと書かれています。
娼妓とは言ってもただ単にエッチなサービスを提供するだけではなく、踊りや三味線、歌なども聞かせる芸妓としてのライセンスを持つ「二枚鑑札」であり、オールマイティーに客を持て成す接客のプロフェッショナル集団だったのです。
戦後は他の遊郭と同様、赤線地帯に指定され昭和30年には妓楼の数も戦前の倍となる182名とかなりの繁盛していた事が伝わってきます。
日本の文豪として知られている夏目漱石もかつて中学校の教師として働いていた時に松山中学へ赴任していた時の体験談として(記述では住田温泉)
「坊っちゃん」を書いていますが、その中でネオン坂について触れられており
「北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼である。山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ。」
とかつての文豪もその光景にかなりの衝撃を受けた事は想像に難しくありません(笑)
ただし、漱石は松山在住時代はあまり良い思い出がなかったらしく、坊っちゃんの中でもズタボロに書いていますけどね(汗)
脱線してしまいましたが、ネオン坂は昭和33年に施行された「売春防止法」により赤線地帯も廃止されてしまいます。
が、それはあくまでも表向きの姿であり、最近まで「ちょんの間」として知られた存在でした。
相場は45分15,000円程。ポン引きは基本的に中年の女性でした。
くたびれたスナックはあくまでも商談場所であり、実際にプレイする場所は潰れた旅館の客室だったり、クソボロのアパートの1室でした。
私もかなりこの地で散財したものでしたが(笑)、度重なる摘発によりネオン坂の「ちょんの間」は全て壊滅してしまいました。
これで松山のちょんの間は全て壊滅した訳ではありません。
土橋のちょんの間事情
実は松山にはネオン坂の赤線以外に松山市駅前に私娼が集まっており、戦後は青線地帯(非公認エリア)となっていました。
その青線が後に現在の伊予鉄土橋駅の真裏へと移転させられ、現在まで続く「土橋」のちょんの間として現在でも知られる存在となっています。
実は松山市にはコレ以外にもちょんの間が存在しています。
それが「千舟町」。
現在では古い飲食店やラブホテルが多い事で知られる千舟町ですが、かつては士族の住む屋敷町でした。
明治に入って料亭が数件開業した事や、今も歓楽街として知られている大街道や一番町の官庁街が近かった事もあり、花柳界として形成されていく事となります。
昭和初期にかけて相当な賑わいを見せていたそうですが、昭和18年の遊興飲食税法改正により税率が引き上げられたり、昭和19年の決戦非常措置要綱により多くの料亭や旅館が閉業・または休業を余儀なくされます。
更に追い打ちをかけたのが1945年7月26日深夜、アメリカのB29フライングフォートレス128機!による松山市大空襲により市街地は焦土と化し消滅してしまいまいました。
戦後は進駐軍将校を接待する意味で再び花街が作られる事になりますが、その前後にドサクサにまぎれて青線地帯も形成され、その残党が令和になった今でもひっそり商売を続けているのです。
松山市内に今も残る2つの「ちょんの間」エリアですが、ネット上では「潰れた・潰れていない」と情報が交錯しており、はっきりしません。
そこで今回は松山のちょんの間の情報の他、同じく不確実な「立ちんぼ」や「本サロ」についても調査してみました。
土橋のちょんの間
ポワンと灯った赤い灯りが印象的だった土橋のちょんの間。場所は土橋共立病衣の真ん前となります。
さばさばしたポン引きおばちゃんが営業しており、在籍ははぐれ刑事純情派に出演している岡本麗似?な自称43歳、実年齢は53歳の女性1人だけでした。
2階の小汚い部屋は文字通り「ヤル」だけであり、シャワーなども当然皆無。
瓶の中にコンドームが入っていましたが、基本的に着用しなくても生でヤラせてくれていました(15時位に避妊薬を飲んで準備万端らしい?)
それで20分5,000円は高いか安いか個々の判断に委ねますが、私は正直高いと思います(汗)
令和に入る直前まで頑張って営業を続けていたそうですが、情報によると働いていた女性が「脳梗塞」になってしまい、営業を続ける事が困難になり閉店した模様です(汗)
おばちゃんはおったが、検討中 オンナがおらんなったそうだ
とうとう閉店した。おばちゃんが言いよった
「令和になっても江業してる」と言うのはどうやらガセだった模様。。残念ながら貴重な昭和文化がまた1つひっそりと消えてしまいました、、合掌。
松山市内千船のちょんの間
と言う訳で現在松山市内にあるちょんの間は「千舟町(ちふねまち)」しか残っていない事となります。
この千舟町エリアには現在3(4かも?)軒程のちょんの間が存在しています。
このページでは千舟エリアのちょんの間でも情報が確実な3軒について調査してみました。
上記は千舟町の地図です。JR松山駅から近くですが、細長く伸びる一帯が千舟町になります。
@柊旅館(ひいらぎ)
千舟では最も有名な「旅館」です。
「旅館」とはなっているものの、それは表向きの姿であり風呂は女性専用、しかも宿泊する事も出来ません。
男性客はあてがわれた女性と文字通り「ハメ」るだけの旅館なのです。
サービス内容はこちらの口コミを参照して下さい。
今日行ってきたまとめ 営業時間19時から27時、たまに26時30分に閉まる。20分6000円はあまり良くない女が付く、30分8000円から通常の女が付く模様。コースはほかに40分、60分とあり延長分の料金 (同額) を払えば継続して同じ女とヤレる。部屋は5部屋ほどありサービスでお茶が貰える。
肝心の女性ですが、総勢10名程おり、土橋に比べると遥かにレベルは上です。
下は20歳位が数人いるみたいですが、ベースは30代、上は40代が数名と言った所。
顔見せは出来ませんが、トンボメガネのヤリ手婆に希望を伝える事で、ある程度合わせてはくれます(絶対ではありませんが)。
部屋は土橋に比べて全然普通。ただし、防音は期待出来ず、隣から喘ぎ声から色々なモノが漏れ聞こえてきます。
プレイは基本G着が原則ですが、嬢によってはそのままでもOKな人がいるとかいないとか。ただし常連さんはその限りではありません。
ちょんの間なので当然シャワーの類もなく、ウェットティッシュで拭き取るだけです。
プレイが終了すると口コミにもある通り、ペットボトルのお茶がプレゼントされます。
ある程度満足したいのであれば、金はケチらない方が良いです。ただし生は性病の心配があるのでオススメしません。
いつ無くなってもおかしくない旅館なので、気になる人はお早めにどうぞ(笑)
(住所)ホテルNo.1松山の裏 (営業時間)19時から27時 (定休日)月曜
Aちょんの間 みゆき
柊についで嬢の質が高いと言われています。
とは言っても在籍は4名程らしいですが。
1人20代がいるそうですが、他は30代中間から上は40代前半。
サービスが良いと言われているのは「わかば」さん。見た目も悪くないそうです。
しかし週3日程しか出勤していないので、タイミングが合わないと会えない可能性が大ですが。
お店の場所に関しては柊がある所からそんなに離れていないのでスグにわかると思います。お店の見た目は「居酒屋」です(表向きですが)。
(料金)20分6,000円 30分8,000円
Bちょんの間 おたふく
柊のスグに隣にあるのがおたふくです。
在籍数は更に少なく噂では2名程では?と言われています。
おたふくは10年以上前まではこの界隈で最もレベル高く、週末ともなると待ちが出る程大人気でしたが、今ではすっかり下火になっている模様。私も若い頃はかなり利用したものですが。
おたふくは1人でやまももはガリガリとブ○の2人だけ時代は変わった 昔はまあまあ良かったが今は金捨てる気にもならんかった
この口込みにもある通り、罰ゲームで利用する以外、余りオススメはしません。
(料金)20分6,000円 30分8,000円
松山の立ちんぼ情報
私も長いこと松山に住んでいますが、規模は小さいけど風俗も充実しているし、安く本番出来るちょんの間もあったしで、立ちんぼの話は聞いた事あったけど、実際に体験してみようとは思った事ありませんでした。
今回ちょんの間を調査した時に気になって立ちんぼについても調べてみたら、令和になった今でもいる!という情報を入手!
私が知る立ちんぼ出没エリアは「土橋・八坂・恵比寿・河原町・衣山」でした。
特に若い頃から有名だったのは、八坂公園に出没する「ゆきバァ」。
その当時既に50歳を優に超えていたので、今でもいれば優に70歳は超えているでしょう。
料金は60分11,000円。ヤル場所は男性の自宅や、近くの「ヤクルト」裏でやっていた事もあるそうです。
さすがに「ゆきバァ」に関するネタは出てきませんでしたが、最近同じ公園に20代の長身スレンダーな黒髪ギャルが深夜に出没しているそう!!
八坂公園近くをうろついている20代前半の女に15000取られた
しかし!詳しく調べてみると良くない噂も沢山!
背が高くて若いのだと爆弾のなつみかも。目は細めで、ハスッパな話し方する。いろいろ時間とかプレイ内容で交渉してくるけど部屋に入って金を受け取ったら、キスもタッチもだめ。怖い人は来ないけどシャワー中にそのまま逃げられた人もいるよ。
エッチ出来なう上、性病との噂も!ネタも古いので調査断念する事に。
次に見つけたネタは松山駅前にあるパチ屋「キスケPAO」周辺に出没する20代前半と30代位の女について。
駅前のキスケ 20代前半〜半ば
たまに30過ぎてるのもおる
比較的最近のネタでもあるし、去年の年末、ボーナスが支給されたタイミングで調査に乗り出す事に。
もう10年近くぶりとパチンコ、偶然新台として入っていた「エウレカセブン3」をプレイしました。
パチンコに関しては惨敗でしたが(笑)、3日目、パチ屋の入り口でやつれた浜崎あゆみ風の女から声を掛けられ色めき立ちました。
が!!「あ、山下さんかと思った!ごめんなさいw」と単なる人違いでした…笑
その後しばらくキスケの周辺をうろちょろしたものの、疲労困憊で結局立ちんぼとは遭遇出来ませんでした。
このままじゃ引き下がれない!!焦った私はコンビニにピットインして再び爆サイを隅々までチェックする事に。
すると例の八坂神社に40歳位のスレンダー熟女が出没しているとの情報をゲット!
爆サイネタなので当然ガセの可能性もありましたが、その時は藁にもすがる思いで現地へ向かうのでした。
八坂神社では出会えませんでしたが、特徴とされている赤いハンドバッグを持った女を駅近くのホテルサンルート前で発見!
意を決して声をかけたら!!なんと待ち合わせ型デリヘルのコンパニオンでした…
結局2週間にも及んだ立ちんぼ大捜索は徒労に終わりました。。
松山の本サロ・本ヘルは?
まず松山市にピンサロは「スーパーガールズ」1軒しかありません。
手マン位は嬢によって可能っぽいのですが、そもそもお店そのものが「優良店」なので本番はヤッていないっぽいです。
次に「本ヘル(本番ヘルス店)」について。
松山市のファッションヘルスは殆どが道後温泉エリアに密集しており、ビル全てがファッションヘルスという「道後ヘルスビル」がある事でも知られています。
近年、道後エリアにも全国風俗チェーン店として知られている「YESグループ」が多数出店しており、激しいライバル争いが繰り広げられています。
だからと言うわけではないでしょうが、道後ヘルスはかなり昔から「本ヘル」が多い事で知られています。
道後にはソープランドがあるものの余り話題にならないのは、本サロで安くヤレてしまうからなのです(笑)
ただし、その事実は他県民は殆ど知りません。
松山のローカルたちは守秘義務が徹底されているのかもしれません?(笑)
ただし、誰でも基盤が可能な訳ではありません。
ローカル以外、つまりビジター(他県人)は数回通って顔見知りにならないといけません。
一見さんが「ここ本ヘルでしょ?」と迫るとブザー鳴らされてつまみ出されるので注意して下さい。
ちなみに全国チェーンのYESグループよりも、コスモグループ(愛ドル学園・トレビの泉・赤と黒など)の方が本ヘルとしての知名度が遥かに上のようです。
道後のヘルス本番ありコスモグループの全店舗とデリヘルも基盤できるよ〜
注意したいのは性病!福利厚生が充実しているYESグループでは性病検査を受けないと働かせてくれないのに対し、コスモグループはそんな事一切やっていないそうです。
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